鬼若丸は、武蔵坊弁慶の幼少期の名前。
産まれてすぐに比叡山西塔に引き取られ、西塔鬼若丸と呼ばれていた。
母親の胎内に18ヶ月、産まれた時にはすでに歯が生えていて、5000〜6000g以上あったと言われている。
比叡山では乱暴ぶりが酷く比叡山を追われ、後に京の五条大橋で牛若丸(源義経)と戦い破れる。
この絵は鬼若丸が比叡山にいる頃、比叡山横川の池の身の丈八尺(約2、5m)の巨鯉を退治した場面。
弁慶の最後は、弁慶の仁王立ちの力強く忠義の男。
弁慶、義経の細かい話しは色々ありますが、和彫りに使われるデザインには、物語や意味合いなど深くこういったデザインも面白いです。
